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夢現

2014.01.31 03:01|散文
 一番幸せな時間は眠っている時間だ、と親の前でも平気で言うような子供だった。誰のことも信じていないと笑った。自分にとっての一番の信用の感情は「この人だったら嘘をつかれても裏切られてもいい」という形にしかならないのだと。それが家族という人間にとってどのような意味を持ってどのような気分を伴って投げ付けられているのかを想像したことすらないような子供だった。

 夜眠れなくなったのはいつからだったのだろう。何も心底楽しいものなど無くなったのは。
 起きた瞬間の、今ここから起き上がっても一日何もすることもしたいこともない、という事実に呆然と絶望するような目覚めが、いったいあと何回続いていくのだろうか。その虚無感の裏で薄ら寒く震えている、もうこの先死ぬまで何一つ起きる目的を思い至ることなどないのではないかという予感に、どれほど脅かされ続けなくてはならない?
 人生は無意味だ。
 たった一言が、暴力的なまでの質量を抱えて寝起きの頭に落下する。
 生きる意味とはなんだ。生きがいとはなんだ。

 子供とは未来の形をしている、未来そのものだ。そうはじめに唱えたのはいったい誰であったか。
 気付けばもう子供でもなくなっていた自分にはその意味が眩しく、まるで心臓を焼かれるよう。子供でない自分になど価値はない、早く子供をもうけたい。しかしこんな重く汚れた執着心を持った人間に果たしてその資格があるのか。

 世界とは自分によって認識される。よって自分にしか世界を変えることはできない。よくもわるくも。
 そんな「自分次第」という看板があちこちに掲げられているが、それがどうにも、乱暴に思える。認識というものはそれほど思い通りな代物ではない。
 生きるのに上手い下手があるのだ、浮世には。それは世渡り云々の話ではなくて、もっと根本的な心構えのような次元での話。それぞれに選択があり、しかもその選択は他人から理解されるとは限らないところですら強制力を持っている。なぜ人を殺してはいけないのか、なぜ他人の妻を愛してはいけないのか、なぜ自ら生きることを辞めてはいけないのか、なぜ法律はあるのか……それでも選択は迫られる。
 いっさいがっさい何一つとって上手くなくても、一度生まれたならば最期まで生きなければならない。と申し渡される。

 他人の不幸で飯が旨い。

 一番幸せな時間は眠っている時間だ、と親の前でも平気で言うような子供だった。完璧に安らげる時間など他に全くないと信じて疑わなかった。それが例え悪夢の中であっても、目が覚めているよりはずっとマシだと本気で考えていた。
 何一つ不自由などしていなかったけれど。大した不幸など負っていなかったけれど。人にも環境にも十二分に恵まれていたけれど。いや、それゆえに。
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